私たちは、「愛されないこと」を自分で決心している。

ファッションと関係ないことをお話ししますが…🤭🤍

(でも、実は関係あるんですけどね…🤍)

 

私たちは「愛されない」ということを自分で決心しているんです。

「え?どういうこと?」と思われたかもしれません。

 

「愛されていないこと」を自分で決心するとは?

 

たとえば、こんな風に思うことってないですか?

 

「自分は親から十分に愛情をもらっていない」

「自分は愛される価値のない人間だ」

「いつも他人に嫌われていないか不安…」などなど。

 

これって元をたどると、大体、親・家族からの愛情を感じられなかったことが原因として浮かんでくることが多いです。

 

私は愛されなかった…

私は、心理学を通して、「今起きている人間関係の苦しさが、元をたどれば親からの愛情不足が原因」ということを知りました。

それを知ったときは、衝撃でした。

 

そして…

そこから「親がちゃんと私を愛してくれなかったせいで😡」と

ずっと親を妬んでしまっていました。

 

でも!

 

今になって気付いたことがあるんです。

それは…

 

親は親の愛情のかたちでしっかり私を愛してくれていた。

 

でも私は、今自分が抱える生きづらさを全て親のせいにしたくて、

「親は私を愛してくれなかった」ということにしておきたかったんです。

 

(これは私の場合。

みなさま、いろんな状況があると思うので全てがそうとは限りません・・)

 

「私は愛されていない」と決めておく方が楽?

なぜ「愛されていない」と、決める方が楽かというと、

先ほどの私がそうだったように、「そうすれば他人のせいにできるから」。

楽なんです。

他人のせいって、自分ではどうすることもできないことだから。

 

自分は何もしなくてよくなり、

他人に「変わってよ」と文句を言うだけでいい。

とてもイライラすることですが、動かなくていいので実は楽ちん。

 

自分の思う愛情のかたちしか受け取りません

ではどうして、今まで親の愛情を感じられなかったのか。

それは、なぜかというと、

最近になってやっと気づいたことですが、

私が求める愛情の表現方法と、私の親がしてくれていた愛情の表現方法…

 

それが”違っていた”から。

 

私は”抱きしめることや頭をなでてもらうこと”など、スキンシップや…

”「大好きだよ」「あなたは素敵だよ」”という言葉

 

そういった直接的な愛情表現が好きな人間。

 

私の親は、物心つく頃にはほとんど直接的な愛は与えてくれませんでした。

 

でも実は…

”私たち子どもが安心安全に過ごせる住居環境”や…

”おいしい手作りのごはん”など…

 

私の親は、愛情をもってそれらを提供してくれていたのですよね。

 

前述の通り、

私がもらいたい愛情のかたちと、親のくれていた愛情のかたちは違っていたんです。

私のが○、親のが□、だとすると…

私の受け取れるかたちのものは来ていなかったので、

受け取れていなかったんですよね…😢

 

だから、「私は愛されてこなかった」と感じていたのです!

そして、愛情をもらえなかったと思っているので…

私の心は拗ねていました(😡←こんな感じで…)

 

そして、拗ねているので、

「私の求める愛のかたちしか受け取りません!!」

という気持ちになってしまうんですよね。

 

(拗ねてるときって、意固地になりがちですよね💦)

 

愛されていることを受け取るには…

そうして意固地になって親を恨んでいた私でしたが、

そこからさらに学びやカウンセリングなどを通じて、自分を見つめるなかで気付いたこと。

 

それが、「親は親のやり方で私を愛してくれている」ということ💗

 

親に対して怒りや拗ねた気持ちがあると、

なかなか認めたくない事実なんですが‥(;^_^

つまり、この認めたくない、という気持ち

それが「私は絶対愛されていない」という決意なんですよね。

「私の欲しい愛情をくれていないんだから、愛されてると思ってやらないぞ」という決意。

 

この決意はなかなか強いものだったりするので、

こういったお話を聞いてもすぐに親の愛を受け取れるというものではないと思います。

 

だけど、あなたが受け取る受容体を開けば、たくさん受け取れたりします🎁

よければ少し「絶対受け取る!」という決意をもって見てみてください❊

 

玻瑠